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真言アイロニー完成披露試写会
真言アイロニー
【18:36】

完成披露試写会場の尼崎から、アフターパーティ会場の大阪までの移動はひとりで。少しホッとしながら映画のことを考える。僕にとって『真言アイロニー』はどんな映画だったのか。「観客として本作をどう感じたか?」

要素要素で褒めたい点がたくさんある。
「美しさ」だけではない映像の「確かさ」は誰もが評価するところだと思う。
「光と影」という要素、「色彩」という要素、そして「構図」という要素。それらのバランス感覚が素晴らしい。「若い割になかなかのものだ」というような相対評価ではなく、絶対評価で石原監督は映像作家としての手腕に優れていると思う。そしてそれは、ただ格好の良いキメ画が撮れるということではなくて、明暗や色彩や構図によって物語を進めたり深めたりする演出力を伴っている。

具体的な例を挙げると、大学キャンパス内のテラスにて、神谷勇羽演じる主人公と雛野あき演じる平井ゼミの学生が言葉を交わす場面がある。時間は今しも日の落ちそうな黄昏時で、女性の表情を影が覆い隠してしまうかのような陰影で映し出すのだが、雛野あきの儚げな美しさと同時にその女性が心に抱える陰が、説明セリフやモノローグよりも、確かな強度で観客に伝わる。そういう演出力がある。

また、平井尊士が急逝し、その後に妻の葵を演じる小原みれいが一人の朝食を摂るという場面。カチッと真横から食卓を捉えた固定の構図で、その右側に葵が座って食事をしているカットの長回し。右側に葵が固定されているから、どうしても画面中央奥のイスに、いつもそこに居た平井尊士の不在がポッカリと引き立てられる。しばらくして葵はどうにも寂しくなって泣き出すけれども、食べる手を止めない。死を悼んで泣き出す弱さと、食べるという行為の生に向かう強さ。相反する感情を同時に、説明セリフにもモノローグにも頼らずに表現したシーンになっていた。

俳優たちの存在感も映像に負けていない。
坊俊幸の演じた「仕事がデキナイ部下」。映画の中で仕事ができない人物が表現されるとき、「何か物理的な失敗をして上司に叱られて平謝り」っていうのが普通の演出としてよく目にするのだけど、本作での「仕事がデキナイ部下」は、坊俊幸が目線、表情、電話の受け答えのチグハグさ等で演じきってる。日常にこういう社会人はよくいるよね、ってリアルを感じるけど、映画の中にこういう「仕事デキナイ部下表現」を見たことはあまりなくて新鮮だった。

モデル出身の角台千明が演じた「回想の中の女」は、セリフのない短いフラッシュバックの中で、物悲しさ、切なさを刻みつけていた。「現在の妻」を演じる沙倉ゆうのの親しみやすい雰囲気は、角台千明の「美しくも悲しい女」という存在感との対称性として「優しい妻・強い母」という安定感となり、悲しいエピソードの多いストーリーを支え、ラストシーンを希望に繋いだ。

自己否定感が擬人化したDVサイコパスを演じた岡崎森馬。他者肯定が少し暑苦しくて怪しいメンターを演じた勝又啓太。この二者の間で揺れながら自己肯定を手にしていく女優の卵を演じたやもはちこのパートも、独立したサスペンス映画のように見応えがあった。

今駒尋のカフェオーナーの頼れるアネゴ感、藤川トシキのデキル上司感、山岸佑哉の昔はヤンチャでした感、いずれも良かった。

言わずもがなメインキャストの神谷勇羽、雪見みと、川本淳一、川原英之、すべて良かった。

あの描写は忘れないだろうな、このセリフは折りに触れ思い出すだろうな、その歌はまた聴き返すだろうな。そういう、要素要素で褒めたい点がたくさんあった。

では、一本の映画全体としてどうだったか?

梅田の夜景
【19:23】

人類が大阪梅田の地下街を迷わずに歩ける時代はいつかやって来るのだろうか?「大阪駅」と「梅田駅」が似たようなところに別々にあるのに、どうしてまた別に「大阪梅田駅」なんてものがあるのか?百歩譲って大阪駅と梅田駅と大阪梅田駅が別々にあるのはいいとして、さらに別の大阪梅田駅があるのは何かの罠なのか? アフターパーティ会場までの移動時間はかなり余裕があったはずなのに、もうけっこうイイ時間になってきている。道に迷って遠回りは、千歩を超えている。

ラグナヴェールプレミア
【2:13】

大阪ステーションシティ・ノースゲートビルの28階。ラグナヴェールプレミアというパーティルームで行われているパーティは、ビッグエコーでやる忘年パーティとか自分ちでやる鍋パーティとかっていう概念とは違う、いわゆる「パーティとはこういうものだ!」というストロングスタイルのパーティだった。名前の知らない料理と、名前を聞いても覚えられないデザートたちが、顔も映せよとばかりにピッカピカのお皿に並べられていた。窓の外には美しい夜景。ひとしきり家族のグループLINEに自慢して羨ましがらせてやったけど、その場にいる僕は、そういう場に慣れてないアウェイ感で完全に気後れモードになっていた。

そんな僕に、カンジ良く話しかけてくれたのは右隣の席に座った女性の方だった。元気なお子様たちからのフライドポテトのリクエストに応えながら、今日の僕の、そこそこ文字数を要するので割愛するのが妥当かなと配慮するくらいの経緯を聞いてくれたりした。その女性は、沙倉ゆうのが演じた「優しい妻・強い母」の役のモデルになった方だった。もちろん山岸佑哉が「昔はヤンチャでした感」で演じたご主人も同席されている。西本夫妻である。「そうか、ご本人はこういう方々なのか」と楽しくお話を聞かせて頂いた。「平井尊士とは、どういう人だったのか」というお話を、たくさん聞かせて頂いた。映画の中の平井家の食卓の、その団らんの中にいるような、楽しい時間だった。

その間にも世田谷のりこ(愛笑む)とIYCOによるミニライブに泣きそうになり、石原ひなた監督のラストスピーチに泣きそうになり、今日出会ったばかりの「TEAM真言アイロニー」の皆さんとのお別れに泣きそうになったりしているうちに、アフターパーティも閉会となっていった。

とはいえ、僕がこれからも映画を好きでいる限り、スタッフやキャストの方々には別の作品や別のイベント等で会えることもあるだろう。でも西本夫妻とは一期一会なのかもと思ってはまた泣きそうになり、「どうぞ末永くお幸せに」と名残惜しく話しかけたりもした。

愛笑む/IYCO
愛笑む/IYCO
真言アイロニーアフターパーティー
【23:59】

2020年1月18日の終わりは、京都の宿泊先に向かう路上で迎えた。

この一日を終えて結局、平井尊士とはどういう人だったのかって、僕は最後まで知ることができなかった。

映画の中で川原英之はキッチリ演じていたし、映画の後に西本夫妻もたくさん話を聞かせてくれた。それでも僕には彼が、どうしてそんなに尊敬されて、何がそこまで人を惹きつけるのかという理由はわからないままだ。なぜなら『真言アイロニー』という映画も、彼を知る人たちの話も、すべて「理由がどうとか以前に、そもそも平井尊士はそういうスゴイ人」という世界であるからだ。
だから僕は、要素要素で褒めたい点がたくさんある映画だが、映画全体としてどうだったかというと、個々のエピソードに対して中心軸となるはずの、平井尊士の求心力が弱いと感じた。

映画の中で平井尊士の強さや優しさや大きさが、殊更に描かれることはなかった。だから彼が亡くなったことが劇中に示されたとき、葵のように僕は泣けなかった。

沙倉ゆうの演じる岸彩子が自分の愛を貫けたことや、雛野あき演じる吉野みどりが自分の生き方を見つめ始めたこと、やもはちこ演じる相沢カンナが自己肯定できるようになったこと、そんな若者たちの成長のどれにおいても、平井尊士は直接関与をしていない。神谷勇羽演じる主人公の新村ひなたにでさえ、映画を作るという決意の、キッカケではあっても導きにはなっていない。群像それぞれの縁がつながった時のカタルシスに酔えないのは、この映画の中の平井尊士が、ヒーローとしてもカリスマとしても描かれていないからだ。

だからこそ僕はこの映画を、とても良い映画だと思うのだ。故人や残った人たちに対して誠実な映画だとも思う。

『真言アイロニー』は、若者たちが小さな一歩を前に踏み出す物語だ。振り向いてお礼なんか言わなくても、大人たちは笑って見守ってる。恩を受けたと思うなら、それは返すものではなく次の誰かに送るものだ。平井尊士が真言でひなたの背中を押したなら、次はひなたが映画で誰かの背中を押す番だ。それを「縁」と言うのだと思う。

やもはちこ

『真言アイロニー』は、僕にとってどんな作品だったか?

それは140分間の“劇中劇”だと僕は考える。その本編は上映時間756日間のドキュメンタリ超大作だ。

生きづらさを抱えた若者が、恩師の死をきっかけに、映画制作を志す。どんな映画かというと、「生きづらさを抱えた若者が、恩師の死をきっかけに、映画制作を志す。」という物語だ。資金調達から始まって、スタッフの確保、キャストの募集に奔走した。多くのトラブルに直面したが、たくさんの人に助けられもした。紆余曲折を経てその映画は完成する。クオリティの確かなその作品は、その若者の力を証明する名刺になるだろうし、その若者のこれからを支える自信にもなるだろう。もしかしたらその若者の、将来へのパスポートにもなるかもしれない。
クライマックスは2020年1月18日という一日だ。
その劇中劇の上映会は満席800名の拍手で締めくくられた。
若者は恩師との約束を果たし、大人になった。映画の作り手として、経験や仲間も手に入れた。いつか若者は、誰かにとっての恩師になる日がくるのかもしれない。

石原ひなた

そんな物語を観せてもらったと、僕は思っている。

ということは僕は、今日アルカイックホール・オクトに集まった800名の、劇中劇の観客役のエキストラのひとり、つまり出演者の側だったのだ。ではその800名すべてが出演者だったとしたら、この超大作『真言アイロニー』の観客は誰なのか?

最初からひとり、最前列で観ていた人がいたじゃないか。

平井尊士

【ライター: ウシダトモユキ 】
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1972年8月11日生/映画ライター・行政書士
映画ブログ・ポッドキャスト『無人島キネマ』  
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