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完成披露試写会
あましんアルカイックホール・オクト
【10:34】

JR尼崎駅から歩いて10分、アルカイックホールのオクトという会場はその名の“オクト”が示すように“8”角形の、予想していたよりずっと大きなホールだ。

天井の大きくて円い照明を見上げていると、会場側の舞台統括の人が「ここねぇ、珍しい形してるでしょ?客席がこう、ガッと移動できてね、真ん中にリング設置してパンクラスとかボクシングの試合やったりするんですよ。あとビリヤードの大会とかね。」と教えてくれて、「なるほど、それで照明が円いカタチなんですね。」と僕は応えたりしていた。

舞台の上では数名の役者が、映画の上映前に行う「オープニングアクト」のリハーサルを繰り返している。舞台の上手の役者がアクションする間、舞台真ん中では役者たちがストップモーションになる、そのキッカケを照明の明暗で云々かんぬん。

会場の後方では監督が、オープニングアクトの本番や上映後の舞台挨拶を撮影するためにカメラやマイクのセッティングに忙しそう。そのカメラと舞台の間の客席空間では、プロデューサやスチールカメラマンや音響マンや、その他役職よくわからないマンたちが、それぞれに忙しそうに動き回っていた。

その中でポツンとヒマそうにしている僕は、この2020年1月18日、『真言アイロニー』という映画の完成披露試写会の模様をレポートするライター、という役割でここにいる。昨日まで、そして明日からも一般人である僕が、何故今日この日はここでライターなのか?を説明するには、そこそこ文字数を要するので割愛するのが妥当かなと配慮するくらいの経緯はあるのだけれど、それを一文字に要約すれば「縁」である。作り手に一番近い観客として今日という一日を見届けて、観客に一番近い作り手として2020年1月18日を言葉にして届けるのが、この「縁」の末端に居場所をもらった僕の役割なんだな、というようなことを考えているうちに、舞台の上は徐々に本番に近い空気になっていった。

オープニングアクトのリハーサルが終わり、客席の照明が明るくなると、僕の他にもうひとつ、ポツンとヒマそうな顔を最前列に見つけた。A4くらいのフォトフレームに納められた、平井尊士という人の顔だった。「そうか、ご本人はこういう方なのか。」と、無言の初対面をした。『真言アイロニー』という映画の140分間と、2020年1月18日という24時間と、それに至る制作期間の約2年間と。それらの「縁」の発端となった、不在の中心だ。でも実際どんな人なのか、僕はまだ知らない。
ただ、19ハタチの若者を一本の映画を撮り切るところまで駆り立て、多くの人を巻き込んで、さらに多くの人に観てもらう舞台にまでたどり着かせた存在である。ハタ目の印象よりも、さぞかし強くて優しくて大きな人物なんだろうなと、たぶん『真言アイロニー』はそれを語り描いてくれる映画なんだろうなと、僕は予想した。

「縁の末端」である僕が、「縁の発端」である平井尊士という人を知る。今はもういない人の残した生き様や言葉が、今を生きる僕らを支えたり励ましたりすることになる。映画という装置が、縁の発端と末端をつなぎ、縁はやがて円になる・・・。
「平井尊士とは、なるほどスゴイ人だったし、その存在を映画に映し撮った石原ひなた監督はエライ。」このレポートはそんな感じの着地を目指して書いていくことになるのかな、と思った。「縁から円」ってゴロも良い。

進む先が見えたからか、少し緊張が和らいで、僕はホールの外に出た。

完成披露試写会
【12:41】

支給されたお昼の弁当が美味しい。「この人たちは“本気”なんだな!」と僕は思った。
「映画の神様は細部に宿る」なんて言葉を耳にしたことがあるけど、この日の昼弁当にも神様が宿っていた。ふざけた話ではなくて、「スクリーンに映らないところもちゃんとしてる」っていう、映画作りへの姿勢の話。

ホールを出た2階ロビーの片隅で、神の宿ったお弁当を食べながらパンフレットに目を通す。厚さ6ミリ、100ページ超。“本気”のパンフレットだ。プロダクションノートには主演俳優が自ら降板して、後任が決まるまでの顛末など、エグいエピソードも赤裸々なまでに綴られている。近頃は「スクリーンの外」がちゃんとしてなくて作品が躓いてしまうニュースも多い映画業界だけど、『真言アイロニー』は「在るべき姿勢で在ろうとする意志」のようなものが制作過程からも感じられる。

サントラCDも、後日から僕のイヤホンで繰り返し鳴らされることになる。「記念グッズとしてのサントラ」ではなく、ずっと聴き込んでいける音楽アルバムだ。後藤賢蔵という音楽プロデューサのもと、世田谷のりこ(愛笑む)という男性シンガーと、IYCOという女性シンガー、それぞれに深く心に染みてくる声で、この映画のために選び尽くした言葉を奏でる。“本気”のサントラだ。そんなパンフレットやCDの物販ブースも2階ロビーに設営され、“本気”のPOPと共に観客の入場を待っている。

これだけの“本気”で作った映画なのに、どうして一般公開しないのかな。パンフレットを一通り読み終えてもその回答らしき記述は見当たらなかった。『真言アイロニー』という映画の上映予定は、現時点で後にも先にもこの2020年1月18日の1回のみ。その1回だって無料での上映だ。関係者の中に石油王がいるという気配もないし、「広告戦略的な話題作り」という匂いもしないから、たぶんこの上映形態は彼らの「在るべき姿勢で在ろうとする意志」のひとつなんだろうと思う。間もなく始まる映画そのものよりも、この映画がプリプロダクションやポストプロダクションを含めて示そうとしているスタンスというか、願いというか、あるいは祈りみたいなものを理解できたらいいなと思った。

完成披露試写会
開場を待つ観客の列

お弁当を食べ終わり窓の外を見ると、開場を待つ観客が幾筋の列を作っていた。正面玄関から。北側入口から。もしくは陸橋からつながる螺旋階段から。なんだか『フィールド・オブ・ドリームス』のラストシーンみたいで少し泣きそうになった。

(中編に続く)

【ライター:ウシダトモユキ】
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1972年8月11日生/映画ライター・行政書士
映画ブログ・ポッドキャスト『無人島キネマ
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